高知で田舎暮らし始めましたブログ

大阪生まれ大阪育ち。生粋の大阪人。そんな僕が念願の田舎暮らしのため家族を連れて高知県へ移住。その中で思うことをつらつらと書いていく田舎暮らしブログ。

さらりーまんひすとりー5

まだ続きがあったのか!?自分も書くの忘れてました(笑)

 

そうそう晴れて事務職になったが数ヵ月で飽きてきて。。。でもお客さんからの電話に応えれるのが楽しくってみたいな話からでしたよね(笑)

 

そこから1年間は事務職を全うします。失敗もたくさんしましたが収支報告や会議資料なんかもたくさん数字を使って作ったりして色々やりました。まぁそこそこ頑張ってたんじゃないでしょうか(笑)

 

それからある日のこと。

 

所長に『ちょっときてくれるー?』

 

って呼ばれまして。

 

会社の応接室なるところに当時、40代くらいだった隣の課の営業主任と僕22歳のふたりが通されました。

 

『えーっとおまえら3日後に転勤ね!』

 


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僕は唖然。笑

 

こんなにもあっさり人事って決まるもんなんだー。3日前とかに。笑

 

40代の営業主任は遥か遠くの地方営業所へ。もう2度と会うことはないんだろうなーと思うくらい遠くに行ったような記憶。

 

僕はというと隣の課へ転勤。距離にして5メートル。いやー。色々覚悟しましたけど案外、近場でした。

 

そして職種も事務職から営業にチェンジ。イエーイ🎵

 

主任のお客様、約300社をいきなりゲット。イエーイ🎵

 

 


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ちょっと待てぇ!!!!笑

 

 

営業したことねぇし、隣の課って距離は近いけど会社のなかでもまだ出来て数年しかたってないまったく新しい新規事業部。社内でもあーそんな課あったねー!なにやってるんだっけ?レベルの認知度。

 

お客さん全国にあってあなたの担当はこの300社です。新規事業なのに300社もお客さんいんの?てかそれってそもそも多いの少ないの?

 

主任も3日後には僻地へ異動だからほとんど引き継ぎもなくといっても引き継がれてもわかりませんけどね。営業のやり方から教えてもらえませんか!?的な感じだったしね(笑)

 

 

まあでもしゃあないです。会社の人事だし、従わないと。これがサラリーマン!!

 

 

そこから3ヶ月くらいはまさに地獄。完全に死んでましたねー(笑)

 

会社でのお泊まりも何度もしましたね。

このお泊まりがとにかく苦痛。せめてもの救いは応接室のソファーに寝れる。ほんとヨダレをこぼしまくってたよね。ヨダレ池よ。

 

飯は近くのコンビニ弁当や出前だし、風呂にも入れないし。

 

当たり前だけど、極力泊まりたくない。

 

でもエエこともあった。まぁそんな状況下だから1のエエことが10倍くらいに感じちゃえるメンタルではあったけどね。

 

今でも忘れられないエピソード。

 

その日も夕方くらいから午前様確定の予感。もうしんどいわけですよ。みーんなお疲れ様でしたー!今日、デートなんすよー!今からスポーツジムなんだー!なんて言って帰っていく者共。

 

なんで俺だけー(T-T)みたいな感じになっててドラマなんかでよくある薄暗いオフィスで1人仕事をしてました。

 

夜中24時くらいだったかな。

 

突然、事務所の入り口があいて当時の上司が『腹へったやろー!食うとけよー!』だけ言い残して受付にたこ焼きを置いて帰ってくれたんですね。ほんとにそれだけ!

 


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22歳の僕はめちゃくちゃ心に染みるわけですよ。もう会社のオフィス、夜中ですけどワンワン泣いてたこ焼きを食べたのを今でも鮮明に覚えてますね。

 

そのときのたこ焼きの味はって??

 

んなもん、ソースとマヨネーズ味だよ!

 

とにかく見てくれてる人はいるんだ。

 

かっこええやん!!いつか自分もこういうことができる男になりたいなと。

 

それから2年間、営業担当して頑張りました。新規事業だったからけっこうバンバン色々やらせてもらったりしましたし、まぁまぁ楽しめて仕事ができるくらいにはなりましたね。

 

技術職1年。

 

事務職1年。

 

営業職2年。

 

そして僕はこの会社を去ることになるわけです。飲食業の世界へと飛び出していきます(笑)

 

ちなみに辞めるのに1年かかりました。長くない!?

 

普通は3ヶ月とかで辞めていいんでしょうけど僕もまぁ恩義があったし、なにしろ新規事業なんで会社の中にもこの仕事ができる人が数人ほどしかいなかったので引き継ぐのに時間がかかったんです。

 

僕が辞めると宣言してから人を雇い、まずはその人を半年間、工場で徹底的に機械を勉強させ後の半年間で僕からのマンツーマン指導。おじさんでしたけどかなりみっちりやりました(笑)

 

おじさんもそれなりにものになってきたので辞めさせてもらえました。

 

しかし、僕が辞めて半年後、引き継いだ方は鬱病になりやめてしまいました。実は辞めてからもおじさんのことが気になってちょくちょくご飯とか行ったりしてたんです。救ってあげれませんでしたけどね。

 

 

辞める直前に所長に言われたことを今でも覚えています。

 

おまえをオールマイティープレーヤーにしたかったんや。

 

今、うちの会社でも採用の段階から明確に職種を別けて採用するやろ。で、基本的には職種をそのまま全うするんや。

 

でもな。

 

営業しかしたことないやつは、事務職のやつらの気持ちがわからんのや。

 

事務職しかしたことないやつらは技術職のやつらの気持ちがわからんのや。

 

技術職しかしたことないやつらは営業職のやつらの気持ちがわからんのや。

 

だから歪みができてギスギスしたり、問題が起こったりすんねん。

 

お前はまだ若いし、少ししか経験ないけど3つの職種を経験させたんはその三者の間に入ってバランスを取ってもらいたかったんや。

一番の狙いはそこや。あと強いてゆうならお前、飽き性やろ?だからいろんな事させてん(笑)

 

専門分野を磨きあげるのもええ仕事やけど、そういう仕事ができるのもすごいことなんやで。

 

まぁ辞めるのは残念やけど頑張れや。

 

とこんな感じでした。

 

当時はあんまりわかりませんでしたけどね。

 

ええように捉えようとはしてました(笑)

 

とにかく初めての社会人でかなりほんとかなり生意気やった僕に色々と教えてくださったのはこの会社であり、そこに勤めていた方々、お客様、業者様でしたね。

 

ほんとに感謝しています。

 

こんな感じで僕のサラリーマン時代のお話は終わります。

 

ここから怒濤の飲食業時代に突入していきます。

 

脱サラの私がどんな思いをもって、どんなふうにうごいて、どんな感じでお店をやることになったのか。

 

次は飲食編をじっくりと書いていきたいと思います。