誰でもわかる!飲食店の始め方。出逢い編。
ある日、友達から
『面白そうな店見つけてん。ちょっと行ってみよーぜー!!』と声をかけられた。
田舎もんの男3人が向かった先は大阪西区。
服屋、カフェ、自転車屋、雑貨屋、もうコンセンプトすら我々にはわからないようなキテレツなお店が立ち並ぶ
『堀江』
という当時の大阪では間違いなく、最先端のオシャレな街だった。
梅田や心斎橋とはあきらかに違うオシャレな空気が漂う街。
そんな堀江の雑居ビルの中に僕らが目指すお店はあった。
『中目黒卓球ラウンジ 堀江店』
なんともよくわからん名前のお店なのに看板もない。
ここかなぁ??と当時の携帯電話の地図を駆使し、場所を特定。雑居ビルの無機質で薄暗いエレベーターに乗り込み、2階へ。
エレベーターの扉が開くと、オシャレな間接照明が付けられた靴置き場。隣には堅く閉ざされた鉄の扉が1枚。
扉の横には家庭用のインターフォンがつけられてあった。
この時点で田舎っぺ3人衆は完全に怯む。
えっ?店員とか出てこんの!?
靴箱ってなに??
そもそもここであっとるんか??
小動物のような動きをしながら3人はモゾモゾしていましたがここまできたんだからと思いきって僕はインターフォンを押しました。
『ピンポーン』
(。。。えっ!?めっちゃ普通のピンポーンやん)
『はい。何名様ですか?』
『さっ3人です。』
『開けますね!』
とにかくめちゃくちゃビビる3人。
どないしよーどないしよーどないしよー!きっと3人とも心のなかで唱えてたと思います。笑
しばらく待つと中からガチャっと店員さんが扉を開けてくれ、店内へと通されました。
うわー!!スゲー!!
雑居ビルの表からは想像できないくらい広い店内。
電球が灯す、暖かみのある光。
木のフローリング。
ちゃぶ台やローテーブルといった様々なテイストが混在する机。
ローソファーやローチェアーがならび、ラグやクッションが置かれている。
レコード、DJブース、パーティー用のおもちゃ。
そしてお店の真ん中に存在感たっぷりに鎮座する卓球台。
そう。
ここが僕の人生に大きな影響を与えることとなったお店。
この初来店をきっかけに都会へ遊びに来ると必ずと行っていいほどこの店に来た。いやこの店に遊びに来るために田舎から車で90分もかけてやってきた。
それだけの価値を感じたし、なにより楽しかった。
最初は仲間内でワイワイ卓球して遊んだりしてただけだったけど、次第に周りのお客さんとも卓球勝負したり、店員さんが話しかけてきてくれたり、常連さんと言われるような人たちと話をするようにもなった。
そのお店に集うお客さんたちはサラリーマンももちろんいたけれど、堀江という街柄からかフリーのクリエイターやデザイナー、カメラマンやウェブデザイナー、飲食業、美容業、アパレル業など今まで自分が接したことのない職業の人たちが多かった。そして決まってみんなフリー、つまり個人事業主だったり、社長だったり。
そんな人たちとカウンターで話ながら酒を飲む時間は格別にたまらなかった。
たわいもない話もたくさんするんだけど、仕事の話や生き方の話なんかを聞いてるともうね。
しびれまくった。
ここにいたんですね。
カッコいい大人たちが。
自分がいつも会社で見ている人間たちとはあきらかに、あきらかに違う人種。
別にみんな大金持ちとかじゃないし、なんなら普通のサラリーマンよりもお金がなかったりする人も。
でもほんとにみんなキラキラして見えたんです。
後からこのキラキラの裏には血のにじむような努力があることを知ることになるんですが今はまだ知らないまま。
もうね。
若い僕はこの人たちの影響を受けに受けた!!
やっぱり僕も産まれたからには1人の男として、一国一城の主になりたい!!と思うようになりました。
そうと決まれば金を貯めよう!!
ということでここから4年間、サラリーマンをしながら独立に向けて資金を貯めることに励みます。1年150万は貯めようと。
そしてやるんだったら絶対、飲食店。
僕がこのお店『中目黒卓球ラウンジ堀江店』にしてもらったように。
人が集い、繋がって、楽しいことができる。人の輪を広めれる空間を作っていきたいというコンセプトが21歳のときには出来上がっていました。
儲けのことなんて考えたってわかんないからこの若さだったら想いと気合いだけでなんとかなる!!という感じで突き進んでいきました。
次回、いよいよ飲食店のノウハウ!修行編へと続く。