高知で田舎暮らし始めましたブログ

大阪生まれ大阪育ち。生粋の大阪人。そんな僕が念願の田舎暮らしのため家族を連れて高知県へ移住。その中で思うことをつらつらと書いていく田舎暮らしブログ。

誰でもわかる!飲食店の始め方。お客様はどこへ??

久し振りの飲食店のお話です。

前回はどこまで話したっけなぁなんて過去のブログを覗いていましたらお店のプレオープンでうかれぽんちになってた記事がありました。笑

 

今日はその続きを書いていこうと思います。

 

100名ほどのお客様がきてくれたプレオープンを終え、4月26日から通常営業を開始しましたがまだまだどんどんお客様が来てくれる。友達や知り合いや前職の先輩後輩、しかもすぐにゴールデンウィークに突入したので県外へ出てしまった友達もここぞとばかりに遊びに来てくれ、とにかくテンヤワンヤの大賑わい。

 

スゲーことが起こってるぞー!!!!!

 

フィーバーフィーバー!!

 

しかし。。。

 

この大フィーバーが一変するのです。

 

ゴールデンウィークを終え、5月下旬になると友達も一通り遊びに来てくれてあのフィーバー期間はどこへやら?

 

というか。。。

 

この世にお客様いるの!?

 

っていう状況に突入しました。汗

 

毎日、朝からオープンして夜中まで働いてるのに1日のお客様が数人。ここ仮にも大阪第3の都会、天王寺ですよね!?ここは小さな村の喫茶店でしたっけ??と思わず確認してしまうほど。

 

お散歩ついでにコーヒー飲みにきてくれたおばあちゃん。

空襲の恐ろしさや戦地から戻ってこなかったお兄さんの話、あの頃はみんな腹を空かせていたという戦争体験談を数時間、拝聴。

 

 

夕暮れ時にビールを一杯、引っ掛けに来たおじいちゃん。

昔、天王寺の駅前は闇市があってなー。韓国人が幅聞かせて色々やりよったんやけど日本のヤクザがしっかり市民を守ってくれたんや。昔の日本のヤクザは男気があってかっこよかったんやー。という時代錯誤のブラックトークを数時間、拝聴。

 

 

おばあちゃんの戦争体験談やおじいちゃんのブラックトークがどうとかではなく店としてどうなの。。。

 

 

いやどう考えてもこれはヤベー!!!!

 

 

いくらバカな僕でもこれはヤベー!!!って即座に気がつきました。笑

 

さぁそこからいろんな事を考えて実践していくんです。

 

まずは簡単な方法から。

チラシ配ろうぜー!!みたいなことになり手書きのチラシを作ってお店のプリンターで何百枚何千枚も印刷するわけ。もう普通の家庭用のプリンターだからぶっつぶれるんじゃねぇか?っていうほど熱くなってずっと動き続けてるの。

 

それを1人100枚の配布ノルマとし料理人の彼と配りまくろう!!って決めて撒きまくった。営業中にお客様がいないから1人はいつか来るかもしれないお客様を祈りながらお店に残って、もう1人が近所のマンションやアパートにポスティングしまくるわけです。もちろん店が終わった後も配りにいきます。

 

当然、二人ともポスティングなんて産まれてこのかたやったことありません。

 

でもやるしかないんです。店で待っててもお客様来てくれないし。

 

なので容赦なく『チラシお断り!』みたいに書いてるところにもとにかくお構い無しに突っ込んでました。あの頃はほんとすいませんでした。

 

一駅向こう二駅向こうとかいろんなところでチラシをポスティングしてるとやっぱりいるんですよね。同じようにポスティングしてる兄ちゃんが。

 

中でもピンクチラシの兄ちゃんとかもうねほんと神業的スピードでポストに突っ込んでいくわけ。スパンスパンスパン!!!みたいな感じで。

 

その技をじーっと見ながら兄ちゃんが出ていった後、実践してみるんですがチラシは落とすし、ポストに指は挟むし、入れたチラシはぐちゃぐちゃだし、モタモタしてたら管理人?みたいな人に注意されるし散々。

 

やはり一子相伝のピンクチラシのポスティング技術にはかないません。

 

そして何より1番気まずいのがそのポストの住人と鉢合わせたとき。

だってこいつ完全にピンクチラシとか不動産系のチラシ入れてるべ!!みたいな目で僕を睨み付けてくるし、

 

女性に『なにしてるんですか?やめてもらえますか!!』なんてすごい軽蔑の眼差しで言われる始末。

 

なかなかメンタルやられます。笑

 

しかし、2ヶ月くらいは続けましたね。

トータルで10000枚くらいは近隣に撒き散らしたんです。

 

 

他にもSNSを発信しようといろんなアカウントを作ったり、ブログを書いてみたり。

 

他のお店にショップカードをおいてもらうためにいろんなお店に営業行ったり。

 

駅前で客引きやったり。

 

あっ。中には一瞬で辞めたやつもあります。

 

自分の顔写真をデカデカと載せて『べっちゃんです。26歳。趣味は○○。○○が好きです。話すの大好きなんで気軽にお店にきてくださーい』なんてプロフィールを書いて店の前の看板に貼り付けて置いてたんです。

 

2週間くらいして、お昼過ぎに僕はなんかの用事でお店の前で立ってたんですよね。

すると下校中の女子高生たちがこそこそ僕を見て話してるんですよ。僕はなにか用事をするふりなんかして会話を聞いてると『あの看板の奴じゃない!?ほらいつも出てるやん!あれ、べっちゃんとか言う奴やって!ウケるわー!』みたいな会話をしながらケラケラ下校。

 

 

うん。

あまりにハズい。

 

 

僕の店の前は女子高の通学路になっていましたのでおそらく何百人という女子高生たちが毎日、通ります。そして彼女らは少なからず1度くらいは僕の写真付きプロフィールを目にしていたことでしょう。

 

おそらくですよ。おそらくですが、

 

『なぁなぁ学校行く途中になんか顔写真載せた変な看板あったやろ?』

 

『あー!!知ってる知ってる。』

 

『いや、私みたことないわー。』

 

『ほな帰り見てみよや!』

 

『これかー!!やばいなー(笑)』

 

みたいな会話が絶対、クラスでされていたはず。

 

自惚れているわけではありませんがそれぐらい目立つ超デカい写真とプロフィールでしたので。

 

 

 

ドオオオオオオオオン!!!!

 

 

 

そのまま用事をするふりをしながらその看板を即日、処分しました。笑

 

そんな感じでやれることをとにかくやっていこうという方針でガンガン進めていると

 

『チラシ見たから来ました!』

 

『この前来てよかったから友達連れてきました!』

 

SNSで検索したら出てきたんで来てみました!』

 

みたいなお客様が来てくれるようになりました。

いやー。とにかく色々やってたことがようやく実を結び始めた瞬間でした。

 

 

おしまい。

 

 

じゃなくて!!!

 

 

あぁーーーー!!!

 

 

1番大事な話を忘れてました。

 

お客様が来なくてどうしようもなくてめちゃくちゃ悩んで血便や嘔吐が激しくなってなにしていいか考えまくって行き着いた究極の選択。

 

 

それが『掃除』だったんです。

 

 

会社で働いてた時もmoutonで働いてた時もなんとなく手が空いたり仕事が暇やったら掃除しよかー!というような雰囲気があり、特にそれを意識することもなく綺麗にしとくかー!みたいなノリで掃除していました。手を抜いていたわけではなく普通に綺麗にしてましたよ。

 

 

しかし、僕が行き着いたのはそんな掃除ではないんです。

 

 

皆さんご存じの方も多いと思います『餃子の王将』。王将フードサービスの当時の大東社長は革新的な戦略や人材の育て方などテレビにも度々取り上げられる超有名経営者。

 

そんな大東社長も自ら会社周辺の掃除を欠かさずやっていたそうです。

 

ビジネス書なんかでも経営者自ら掃除をするというエピソードは数多くあります。

 

掃除の大切さはわかってるつもりでした。

 

『経営者って掃除をするもんなんやな』と頭では知ってたんですがいざ自分が経営者になり、悩みに悩んで追い込まれて掃除の大切さに気付いたとき自分の中で掃除の意味がスッと入って来ました。

もう古いかもしれませんがトイレの神様が僕に舞い降りて来たんですよ。

 

僕は『味や店の雰囲気、サービスの質で他の店に負けたなら悔しいけど今は力不足やと諦めるしかない。でもトイレが汚い、席が汚いなんていう理由で満足いただけないのは明らかに自分の怠慢や!そんなことで帰ってもらいたくない!』って心の底から思うようになりました。

 

 

それから従業員にも積極的に掃除をしてもらうようにしました。

 

僕自身は8年間、誰にも任せることなく自分で毎日、トイレ掃除をするようになりました。

 

26歳で掃除の本当の大切さ気付けたのは有り難かったですね。

 

とにもかくにもなにかを考えて動きもがきまくってるとお店にお客様が来てくれるようになりました。

まぁそれでも自分のお給料なんてものはほんと雀の涙ほど。バイトしてたほうがまだ稼げたんじゃねぇ?みたいな金額でしたけど少しずつ自分がやってることが成果として売上に繋がっていく感覚がとても楽しかったです。