春先の3月。
ある日、一通のメールが届いた。
最近、使わない古いメールアドレスにメールが届いたので不思議に思いながらも開いてみた。
『ご無沙汰しています。高知でさぞ活躍されていらっしゃるべっちゃんさんに是非ともゲストスピーカーとしてお話ししていただきたいことがあります。7月15日に大阪へお話にきていただけないでしょうか。』
ん?
メールの送り主を確認すると懐かしい人物からだった。大阪にある大学の教授さんだ。
この教授さんは大阪時代、僕のお店の常連さんだった。残念ながら僕がお店を閉店する前に海外へ留学していたのでご挨拶もできないままお別れとなってしまった。
そんな教授さんから2年ぶりに連絡があったのだ。
しかも大阪へ喋りに来いと。
『いやいや教授さん。僕、高知の田舎で穏便に生活しているただの田舎モンですよ。別に高知でまだなんにも活躍してないし、武勇伝なんて話せることないですよ。申し訳ないですが。。。』
というふうに丁寧にお断りしました。
しかし。。。
『いやいやべっちゃんさん。大丈夫です。とにかく話してくださいよ』と。
僕は矢継ぎ早に返信。
『教授さん。あんた教授でしょ!?もっとスゲー人いっぱい知ってるでしょ。どっかの社長だとか教養のある人とか。大阪にもいくらでもいるじゃないですか!やらしい話しますが僕が大阪まで行ったりすると交通費だけでも2万~3万くらいかかりますよ。』
それでも教授さんは『大丈夫です。べっちゃんさんのご都合に無理がなければよろしくお願いします。』
『そっそうですか。。。じゃあ。。。いっいきますよ!』
こうして僕の大阪行きの仕事が決まった。
しかし、肝心な【何を】話すんだ!?という課題がまだ残っている。
僕『あのー。具体的に【何を】話せばいいんですか?』
『話す相手は大学3年生。学生のケツに火をつけるような内容をお願いしたいんですよー。あと高知の話もしてください。私も聞いてみたいんで。なので前編は学生へ向けての話で後半は高知の話で。みたいな感じでお願いしますね。』
。。。めちゃくちゃざっくりやん!!!
この教授はいつもそうだった。
実はこの教授のオファーは今回が初めてというわけではない。
飲食店をやってた頃、ちょっと大学で話してもらえませんか?とか学生でお店貸しきりにするんで色々、勉強させてやってもらえませんか。などなど。
いつも内容は学生のためになるならなんでもいいです!といった感じだ。(このへんが僕がこの教授のことが好きな要素)
しかし、今はただ高知の田舎モンの僕。
2年ぶりにあの頃と同じようにオファーしてくるこの教授もなかなかおもろいおっさんだ。笑
もちろん受けたからには仕事は絶対に手を抜きたくない。自分が今できる最高の話を聞かせてあげたい。
その日からどんなことを話そうかと考え、思い付いたらメモに残す作業を続けた。
こういう時間は僕は好きだ。普段の生活をしていると自分が20歳頃のことなんて思い返すこともない。
どんなことを思ってたかなぁとか何をしてただろうかとか考えてるうちに余計なおもしろ話なんかも思い出して結局、何を考えてたっけ?みたいなことになることもしばしば。でもそういう時間も好きなのだ。
そんな感じで数ヵ月が過ぎ、話したいこともだいたい出しきったので次のステップへ。
それは台本を書くこと。
僕のプレゼンはここが1番大事だ。
実際に話す口調で書いていく。
丁寧な言葉も使うがほとんどがゴリゴリの関西弁。
一言一句、正確に自分で話ながらパソコンに打ち込んでいく。
【こうしたらええねん】
【こういうのはあかん】
【ほなどないすんねん】
【これおもろいやろー】
話の構成はもちろん、語句の選択、言い回し、話の間、ボケ、投げ掛け、質問に対する学生へのいじり方、はたまたどういうトーンで話すとかここは2回繰り返すだとかなど台本に落とし込んでいく。
今回、僕に与えられた時間は90分。
質疑応答などを除いても約60分は話さないといけない。60分1人で喋り続けるというのはなかなかハード。
だからここまで準備しても100%台本通りにいくことはない。
それでも準備しないわけにはいかない。とにかく不安だからだ。
多くの人を目の前にして緊張しないような肝っ玉の持ち主ではない。本番になると少なからず話が飛んでしまうのが関の山だ。
次は台本が出来たらいつも決まって実際のプレゼンを見る。
世界のプレゼン大会【TED】は必須だ。
日本人の動画は少々、少ないが外人のプレゼンを見ていると身振りや手振り、表情などはとても参考になる。もうひとつ【TED】の本があるのでそれを一通り、読みなおす。
他にも日本の講演家と呼ばれるような人の動画をYouTubeで見てみたりして、これを使おうとかここは台本書き換えようなど修正を行っていく。
この作業が終われば次は実際に話す。
最初は台本を見ながら
もちろん動画や録音を行い、見直し、聞き直し修正していく作業に入る。
今回は60分のトークを10本くらいは録画録音した。
さぁできることはやった。いざ大阪へ。
今回は初めてジェットスター。
いつも乗るANAのプロペラ機より断然いい。
飛行時間は20分ほどだろうか。とにかく離陸したと思ったら着陸体制に入りますとアナウンスが入り、あまりに飛行時間が短いので機内サービスもなし。
まもなく関空に到着。
その日は実家でのんびりと過ごした。翌日、いよいよ本番。
大学のきれいなホールだ。
学生が続々と集まってきた。総勢80名。
さぁいよいよ本番だ。
僕は今回のプレゼンもそうだが基本的に事前の配布資料なんかは用意しない。
パワーポイントで作られるようなスライドも用意しない。(作るのが苦手ということもある)
たまーにホワイトボードなんかがあればお粗末な字で殴り書きする程度。
もちろん資料を作らないといけないようなプレゼンなら作っていくが今日、話したいことはポイントの3つだけ。この3つさえ覚えてかえってもらえたらそれでいいからだ。
まさにおしゃべり1本の90分勝負。
こういうプレッシャーを自分にかけることで聞き手が飽きないように寝ないように食い付いてもらえるように話さないといけない状況を作る。
前でしゃべってるとほんとに皆さんの様子がよくわかるからダメだと思ったら違う話をしたり、用意していた話をしなかったりするのもザラ。
こんな感じ。(教授撮影)
前の素敵なスライド。
まったく手ぶらでくる僕のために教授さんが大好きなプロフェッショナル仕事の流儀になぞらえて僕のプロフィール画像を作ってくれたのだ。
こういういちいち芸が細かいところが好きだ。
あとはもうとにかく喋りまくるしかない。笑
幸いにも寝ているような人はほとんど見受けられなかったし、講義後のアンケートを見てもまずまずの手応えだった。久し振りに大勢の前で話すのはやはり緊張するし、準備がいささか大変だがあの真剣に聞いてくれている表情などを見るとやはり楽しい。
やっぱり僕はこの夢も追いかけていこうと思う。
講演の話や人前で話す機会があったらどんどん出ていってレベルアップしたい。ゆくゆくはいろんなところで講演ができるとええなー。
話は反れる。ここからは余談。
子供ころみんな好きな芸能人がいると思う。
特に1発屋の芸人が人気だ。我が子もその類いだ。
しかし、大阪の子供は違う。
幼少の頃から吉本新喜劇を見て育ち、おもろいおばさんおじさんに囲まれて育つ。
小学生ともなればこの芸人はどうやこうやと評論する子供達があらわれ、それが的確なところをついてくる。
中学、高校ともなれば何故この芸人は面白いのかなどネタの構成や喋り方を研究する。
それは1ファンとかいうものじゃなく、なんとかそのおもしろさを吸収して自分のおもしろさに活かそうとするようなイメージに近い。特に男は。
有名な話だが大阪ではなによりもおもろい男がモテる。顔は生まれつきなのでなかなか変えれないがおもろさは鍛えればなんとかなる。まさに大阪ドリームだ!
それにもれず僕も好きな芸人を見つけ、若手のころの動画を見漁ったり、ネタを書き出してみたり、テレビにかじりついたりしてよくよく追いかけた。
僕は【島田紳助】さんのしゃべりが1番好きだ。
賛否両論あるのはわかっているし、事実芸能界を引退させられたのは記憶に新しい。
しかし、島田紳助さんのあのしゃべりのテクニックはとてつもない。
紳竜のときのしゃべくり漫才も好き。実はあの漫才は一言一句すべて紙面に落としこまれていて計算に計算を重ねた漫才なのだ。
往年は司会者として場をまわす技術につきる。
前もって台本を読まないやゲストの情報を確認しないなど言われていた。
しかしふたを開ければまさに天下一品。深い話から超低次元な下ネタまでこなし、出演者を弄るテクニックなどスゴすぎるものがある。
こんな感じに話せたらなーと憧れ、大阪のお店ではどうやったら上手にお客様、複数人とワイワイ話せるようになるのかいつも研究していたくらいだ。
なんの話かというと大阪育ちの人間はある程度、他県の人よりも人前でしゃべれるんじゃないかと!?
それは幼少期の大阪文化にあると。なんやかんやと言われる大阪人だけどええとこけっこうあるんちゃうかなぁと今、書きながらそんなことを思い始めたので完全に脱線したブログになってしまった(笑)