こんばんわ。
高知県で古民家暮らしを始めたべっちゃんです。
今日はお宝発見なブログを書いていきたいと思います。
今、職場がお引越しの準備の真っ最中。
僕の今の職場といえば、そうです。
市役所。
会社のお引越しは1度、社会人の時に経験したことがあって入社1年くらいのときだったかな。荷物満載の4tトラックに乗って阪神高速をめちゃくちゃびびりながら運転して引っ越し作業をしたのを覚えている。
まぁとにかく家の引っ越し作業なんか比じゃないくらい大変なものなのだ。
そして人生で2回目となる職場の引っ越しを迎えているんですが市役所の引っ越しって。。。
ハンパないの!!
会社のときも大変な思いをしましたが、什器や備品なんかは知れてるし、商品もないけどなにがすごいって
書類!!
これにつきます。笑
たぶん日本全国で一番、書類管理しているところが行政機関なんじゃないのかしら?
当然、県庁なんかになるとさらに膨大なんだろうがこんな高知のちっさな街の市役所ですら想像を絶するほどの書類が保管されているのだ。
とにかくその膨大な書類を持っていくもの、保管しておくものなどに仕分けていく作業がものすごい。
明治時代の筆で書かれた村民名簿?みたいなのから大正時代の軍人名簿?みたいのまで出てくるし、白黒の写真や昭和っぽいものが出てくる。出てくる。
古物店開けるんじゃないの?くらいの骨董品が。笑。
そんな中、棚の隙間からダンボールに包まれた一枚の写真が出てきた。。。
丁寧に額に入れられた白黒の写真。
こんなところでこの写真にお目にかかるとは。。。
これが実際の現物。
見たことある!!って人は結構な歴史好きではないだろうか。
ちなみに引っ越し作業しているメンバーでこの写真に食いついたのは僕だけだ。
この写真は巷では
『フルベッキ群衆写真』
と呼ばれていて、何かといわくつきな写真だ。
なぜかというとこの写真に写っている人物らが明治維新の立役者、新明治政府の重鎮たちが写っていると言われている。
詳しく説明するとこの写真が撮影されたのがこの額に入った写真にも書いてあるように慶応元年という説。
慶応元年の日本というと、大藩である薩摩藩と長州藩はバチバチいがみあっていたときだし、長州藩と幕府は真っ向からケンカ中。
にもかかわらずこの写真の中には薩摩藩の筆頭である西郷隆盛、西郷従道、大久保利通ら、長州藩の筆頭である桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文ら、幕府からは勝海舟が写っているのだ。
ようは当時、互いにいがみ合ってた(道であったら間違いなく殺し合いになるレベル)人たちがなぜか一堂に会して写真を撮っているのだ。
そして中心にいる外国人。
この人はオランダ人のフルベッキさんと言って学者さんであり、宣教師でもあるおじさん。当時の宣教師というのはただただキリスト教を広めるための人ではなくて日本と母国の通信役や貿易商のような役割も持っていたと言われている。
極めつけは写真下段の一番真ん中に座っている青年が実は明治天皇だという説もあったりする。
こうなってくるといろいろとささやかれるのが陰謀論だ。
このフルベッキさんという外国人を中心に薩摩や長州、幕府といった垣根を越えフリーメイソンとして実はみんなが裏でつながって明治維新を成し遂げたんではなかろうか。。。
などなどいろいろ想像するとおもしろい仮説ができる代物なのだ。
かと思えば、そもそもこれは真っ赤な偽物で佐賀藩の致遠館という塾で撮った、フルベッキさんとその塾生たちの記念写真だというのが今は真実であるというのが濃厚だそうだ。
とにかく話題になっては立ち消えまた話題にのぼるというとにかく妙な写真なのだ。
そんないわくつきの写真だからミステリーチックな小説の題材に使われたり、この写真の真相を調査するなど、この写真にまつわる多くの書籍が出ているのも事実だ。実際、僕がこの写真を知ったのもある小説だった。
とにかくいわくつきの写真が坂本龍馬生誕150周年記念と銘打たれ、市役所の倉庫から出てきたのだ。
どんな経緯で市役所の倉庫に来たのか。
龍馬生誕(1836年)150周年ってことは1986年に寄贈されたもの。30年以上前だ。。。
もの好きな明治維新好きな市民が寄贈したものなのか。。。
なんかの式典で配られたものなのか。。。
歴史好きのべっちゃんとしてはめちゃくちゃ心揺さぶられる事件なのだ。
公の機関である市役所でこんなにいわくつきの写真が出てきたということが。
しばらくはこの写真を眺めながら幕末、明治維新の妄想旅行ができそうだ。
おしまい!!笑。