高知で田舎暮らし始めましたブログ

大阪生まれ大阪育ち。生粋の大阪人。そんな僕が念願の田舎暮らしのため家族を連れて高知県へ移住。その中で思うことをつらつらと書いていく田舎暮らしブログ。

誰でもわかる!飲食店の始め方。武者修行編。

飲食店がしたい。

 

そう思った私は会社を24歳で会社を辞め、飲食の世界へ飛び込みました。

 

具体的にはどうしたかってのを今から書き込んでいきますね。なかなかこんなことまで書いてるブログはないと思います。参考にしてもらえればええかなぁと思います。

 

働きたい場所はもう決まってました。『堀江』です。前にも書きましたが当時、大阪のオシャレがここにあったというても過言ではないくらい人気があったからです。

しかし、堀江には大手飲食店はほとんどなく、どちらかというと個人店や数店舗経営している中小企業が多い印象でした。

 

僕は2パターンの攻略法を考える。

 

1、求人情報をネットで検索しまくって応募する。

これはなかなかいい求人情報が載っていなかった。今思えばわかる。当時でもネットの求人に出そうと思えば数万円の費用がかかる。堀江にある個人店にその費用を継続的に捻出する資金はなかなかない。

 

なので2つ目のパターンで攻めることにした。

 

2、履歴書を片手に気になるお店に突撃、面接をお願いする。

当然、募集している募集していないなんかは関係なし、とにかく気に入ったお店を片っ端からあたる。

 

A店

僕:『失礼します!今って従業員募集していますか?』

店員:『いえ間に合ってます』

B店

僕『失礼します!調理師になりたいんですが雇ってもらえますか?』

店員:『24歳で調理学校も出てないのに無理だよ。無理。』

 

なんてやりとりが何度も続く。

今、考えればそうだわな。個人経営のお店なんてのは従業員も雇ってないところも多いし、少数精鋭でまわしてるところがほとんどなので過剰に人数なんて雇えるわけない。しかも飲食経験なし!というただの素人が料理をさせてくれ!!なんて言うてるからね。

 

こんなのもありました。

僕が大好きなお店に面接にいったとき、めちゃくちゃオシャレなおじさんが面接してくれてここで働きたい!!ここの料理を速攻でマスターするのでお願いします!などなど僕の熱い思いを伝えに伝えたんですが突然、

 

おじさん:『君どこの服好きなの?』

僕:『エディフィスですかね』

おじさん:『君、身長そこそこあるよね。ちょっと店内歩いてみてくれる?』

僕:『スタスタスタ・・・。クルッ・・・。スタスタスタ・・・。』

僕:『(いったいその質問とこのウォーキングになんの意味があるんだ。。。)』

おじさん『ホールスタッフなら雇う!調理は今はいっぱいだ!』

僕:『お断りします!!!』

 

大好きなお店だったし、めちゃくちゃ魅力的でしたが僕には時間がなかった。決してホールの仕事を軽んじていたわけではないけれど今の僕には何より先に料理の実践を積むことが先決だったので即答できた。あのころはほんと迷いがなかったですね。

 

気に入った、厳選した飲食店ばかりで面接を受けていたんですがなかなか受からない。

 

なかなか決まらんもんやねんなぁと思案していたとき、電話でアポイントを取っていたお店から連絡が入った。

場所は堀江のなかでも閑静な北堀江という場所。

夜に一度だけコーヒーを飲みに行ったことがあったのだがスーツ姿の店員さんでザ・大人の雰囲気。お金持ちそうなお客さんがたくさんいるような感じの印象のお店だった。

 

『mouton』

 

ムートンという店名で昼はカフェ、夜は本格的なイタリアン。この店を含め3店舗を展開する中小企業だった。

moutonという店名の由来は世界5大シャトー『シャトー・ムートン・ロートシルト』から来ている。

なんでもオーナーが生まれて初めてムートンを飲んだ時、涙を流すほど美味しかったことからmoutonという店名になったらしい。moutonなのに本格的なイタリアンというのもなんかよくわからんところもあるが、1本数十万もするめちゃくちゃ高いワインなので頑張って頑張って働いてやっとの思いで飲んだワインだったんだろう。こういうエピソードは割と好きなほうなので店名の由来もしっくりくる。

 

面接に現れたのは30代半ば、少々、恰幅がよくとても愛嬌のある笑顔をするシェフだった。料理人一筋でイタリアでの修行経験もあり、まさに料理を習うにはピッタリの人だった。

 

面接時に出した僕の条件はこうだ。

 

1、料理人として雇ってもらうこと。

これは絶対にブレてはいけない。

 

2、お店を経営したいのでいろんなことをさせてもらえること。

料理スキルは絶対にはずせないのだがやはり経営に関することも学ばないといけないので数字だったり、業者だったり、店舗運営に関するいろんなことをさせてもらいたかった。

 

3、イイ店舗物件が見つかったら即、辞めさせてもらいたい。

今、考えたらこんなこと言わなくてよかったのにと思うんですが僕は義理堅い人間なので嘘はつきたくなかった。飲食店で仕事しながらも不動産屋にいってイイ物件があれば即、起業しようとしていましたから。

 

 

この条件を突きつけた後、シェフから

 

『じゃあ明日から来てくれ!』

 

と言われました。採用決定!!

 

いや~。今になって思うのはよくもまぁこんなわがままな条件を出してくる飲食初心者を雇ってくれたなぁと思いますよね(笑)だって実力ないのにえらそうなことばっかいうてるただの若造ですからね。ほんと心の広いシェフじゃないと絶対に採用されてなかったな。

 

ということで僕の飲食店修行がスタートしました。

まずはランチの担当になったので先輩やシェフの横について必死に覚える。ランチ時は100食とか売るお店だったので大忙し、キッチンスタッフ、ホールスタッフに怒号を浴びせられながらもとにかく必死に働きました。家に帰っては教わった仕込みの手順を確認したり、見おう見まねで料理を作ったり、休みの日は図書館に行ってイタリア料理やデザートについて調べたり。とにかく毎日、毎日、料理のことだけ考えて生きていましたね。

もう究極はシェフが何回かき混ぜたとか、何回鍋をゆすったとかまでもメモして動きを反復練習してました(笑)

でもねそこまでやってると周りの反応も変わってきてやらせてもらえる仕事もどんどん増えてきました。パスタを作ったり、お肉を焼いたり。今になって思えばけっこうなスピードでいろんなことを教えてもらえてました。

半年後には『ホール』もやってみたらと。スーツを着てお客様をご案内したり、お料理をサーブしたり、カウンターでカクテルを作ったり、ワインの説明をしてみたり。もちろんここでもめちゃくちゃ練習しました。お皿の持ち方、カトラリーの使い方、シェイカーを買って生米を入れてリズミカルに音が出せるように鏡の前で振ったり、ワインの薀蓄を脳みそに叩き込んだり。。。などなど技術はもちろんですがホールに出てみるとあぁなるほどな。ホールの仕事ってめちゃくちゃ大事やんってこのとき初めてわかりましたね。お客様はもちろん、キッチンスタッフも楽しくさせないといけない。店のムードメーカーそのものでした。だから同じお店なのにホールスタッフが変わるだけでお客様の違うし、その日の店の雰囲気も全然違う。ここから接客の楽しさに目覚めました。

そして、いろんな人がいるんだってここのホールをして知ったことも大きな収穫でした。

 

エピソードをあげたら数えきれないんですがひとつだけご紹介。

 

ある日の日曜日、14時くらいだったかなとにかくランチタイムも少し落ち着いたころ店の前の道路に黒い影が。。。歩道にまったく寄せることもなく道のど真ん中に黒の外車が2台止まり、そのまま駐車。ほんとワイルド。まるでここだけアメリカの道路です。

 

出てきたのは常連の893さんです。

 

親分が若い衆を3人ほど引き連れていらっしゃいました。周りの3人はめちゃくちゃ怖面。ほんと誰が見てもその筋の人だとわかるくらいの。でも親分はとっても気さくな方で『よー久しぶりやなー』なんて声をかけてくださるほど。

スタッフが席にご案内すると親分ともう1人が席に座り、残りの2人は入口で待機。いや見張っていると言ったほうが正しいですね。(おーこれが親分の食事だ。)

席に着かれた親分がサラダを注文されたのですが『鉄分摂ったらあかんと医者に言われとるからサラダを茹でてくれ!』と。

僕はその時キッチンにいましたから『サラダを茹でる?』シェフと顔を見合わせながらサニーレタスやらサラダほうれん草やらトレビスなんかをとにかくお湯で茹でました。

 

するとどうでしょう。本来なら溢れんばかりのモリモリサラダがお皿から2ミリくらいの高さになってしまいました。これはお皿に乗っているというよりはお皿にぴったりと張り付いているくらいのイメージでしょうか。

 

シェフ『。。。こういうことやんな?』

僕『はい。。。茹でるとはこういうことですね。。。』

 

シェフ&僕は無言のままその得体のしれないお皿に張り付いた緑のものに塩分もダメだというのでオリーブオイルをかけ、ホールマネージャーに渡しました。

 

マネージャー『。。。これなんですか』

シェフ『茹でサラダ。』

マネージャー『。。。これ正解のやつですか?』

シェフ『これが茹でサラダ。』

マネージャー『。。。これ持っていって大丈夫なやつですか?』

 

そりゃそうだ。お皿一面の緑に油だもん。

 

もうね。笑ったらダメなんですけど堪えられない。マネージャーがお皿持って必死に訴えてくるんですもん。『絶対ダメですって!これはあかんやつですやん!』って魚みたいに口をパクパク怯えながら(笑)

もうね。シェフも半分笑ってるんですよ。でもマネージャーだけは必死。

言うまでもなく僕だったら絶対、持っていけません(笑)

 

そこからあまりにもしつこくマネージャーが食い下がるのでサニーレタスを2枚ほど追加で茹でて乗せました。0.5ミリくらい高さが出ましたね(笑)

 

キッチンとしてはできることはやりました。もう後にも引けないマネージャーがその茹でサラダを持っていきました。

 

するとどうでしょう。

 

若い衆:『なんやこれぇぇぇ!?これがサラダかぁぁぁ!?』

 

もうね。誰でもわかる!みんなが知ってるとはこういうことを言うんですね。

 

これしかない!!という回答がかえってきました。

 

後ろ姿しか見えなかったですがもうね、マネージャーが小鹿のように震えてるの。

たぶん、少しちびってましたね。

 

どないするんやろ?マネージャー。。。キッチンに返されてもどうしようもないで。と思ってると

 

親分:『おーこれこれ!!ありがとうな。』

 

と言って茹でサラダをパクパク食べ始めました。

 

九死に一生を得るということはこういうことを言うんですね。

 

飲食店のエピソードはほんとにいろんなことがあって楽しいです!

 

 

他にも簡単な経理の仕方や業者さんとの顔つなぎなんかもしてもらいましたね。

 

まぁでもとにかく働きまくった。

朝10時から夜24時まで1日14時間。長いときは19時間とか働いてたなぁ。今じゃ完全アウト。当時も大手ならアウトだったのかな(笑)でも全然、疲れなかった。若かったってのもあると思うけど毎日が楽しくて楽しくて。

 

ただ1点だけ辛いこともあった。それはお金だ。

貯金は絶対に崩せない。しかし、お店からの給料はほんとに少なかった。こんなエピソードがある。

シェフ:『年末調整するから前の会社の源泉徴収もってきてくれる?』

後日

僕:『持ってきました』と言われなにげなく渡したら

シェフ:『おまえ!こんなにもらってたのか。。。俺より多い。。。』 

 

とにかく飲食業界は給料が低かった。

しかし、税金というやつは前年の所得から計算されるため会社員時代のそこそこイイ給料が課税対象となり、スズメの涙のような今の僕の給料にしては途方もない税金が押し寄せてきた。

これから何度も経験することになるんですがあの時が人生で初めて金の大切さと恐ろしさを知りましたね。

当時の彼女(今の奥さん)の誕生日にもプレゼントすら買ってあげれず、僕はゴメンな!と泣きながら2人でコンビニのショートケーキを食べてました。情けなかった。。。

 

とまぁこんなエピソードもありながら僕はこのお店で結局2年、お世話になりました。